この日差し。
思い出すのは2年前事故に遭ったことだ。
誕生日の次の日、2016年5月13日に、自転車に乗っていた私は自動車に衝突した。
ほとんどが私の不注意。道に迷っていて、焦っていた。
気づいたら道路に転がっていて、とおりががりのスーパーの袋を持ったおばさんがスーパーの袋の中身など気にせず、私のそばで「大丈夫、大丈夫。」
と言ってくれていた。私は涙を流していたようだった。
救急車で運ばれたんだろう、この辺あんまり覚えてない。
全身が熱い。特に頭と顔。視界が狭いのはまぶたが腫れているからか…
病院に着いて
「脳神経外科医の〇〇です。担当します。よろしく。」
ストレッチャーから見た先生はやたらハンサムに見え、あぁ、なんかカッコいいな。ラッキーと思った。つぎの瞬間、「顔は元に戻りますか?」と聞いていた。
「そうだね、戻るよ。元のように可愛くね。」
先生は言った。
私の元の顔を知らないのになぁ。ま、いっか信じよう。と思った。
「すこし脳に血が滲んでるのね、だから今日は泊まろうね。」と先生。
外傷性くも膜下出血。
幸い、点滴のなかに薬をいれることで治せるくらいのものだった。
ICUに入ってとにかく寝たきり。
トイレも看護婦さんを呼んでベッドの上で。
とにかく頭が痛かった。ほかはどうでもよかった。管につながってる身体。
しばらく鏡を見るどころではなかった。
トイレに自力で行けるようになったころ、食事が出来るようになった。口の中が切れて腫れているので、ちいさく刻んだものを少しずつ食べた。
歯を磨けるようになった。
事故に遭ってから初めて鏡を見た。
「これ誰や?スポンジボブやん。」と思った。想像以上に顔は腫れていた。
ショックでもなく、ふーんという感じだった。なんだかこのままの顔で、もし生きていくにしても、私自身はそう変わらない気がした。
もし、元の顔に戻らないと言われていたら、全然気持ちは違ったかもしれない。
もっとショックだったに違いない。
不謹慎な私は見舞いに京都から来てくれた親にピースをして、この顔、撮るなら今だけだよ、写メしなよ。と言ったのだった。
順調に回復して、だいぶ元気になったのになかなかICUから出られなくて、だんだん管に繋がってるのが苦痛になってきた。
そんなこんなで、5日間ほど居たICUから出れて、普通病棟に2泊ほどして、退院した。
その退院した日がちょうど今日みたいなよく晴れたいい天気だった。すべてが眩しく、色が濃く、音が大きい世界に感じた。病院での生活は白一色。なんて激烈な世界に生きてたんだろうと思った。
だから今日のような日差しをみると、不吉な気持ちになる。 親にもう乗るなと言われた自転車を懲りずに乗っている。とにかく気をつけるよ。
もともとこの季節が一番好きなんだ。
緑のいちばん美しい季節。
私はきょうも元気です。